本日は、閑話休題。雑学だが、日本でもメジャーな野菜、ジャガイモの語源は、インドネシアに関連する。
南アメリカのアンデス山脈が産地と言われる「じゃがいも」は、今では世界的に「ポテト」といえば、じゃがいも、というくらいに親しまれている食べ物だが、日本語名の「ジャガイモ」は、1600年頃(江戸幕府が開かれたのが、1603年と言われているので、江戸時代の開始直前)に、当時のオランダ人によって、日本に運ばれ、ジャカルタから来たイモ、ということがなまって、ジャカルタ・イモから「ジャガイモ」になったというのが通説だ。
南米はいろいろな野菜の産地になっていて、インドネシアでも非常にポピュラーな、トウモロコシも南米(今のグアテマラ近辺)が原産地と言われている。
日本にいて、インドネシアとあまり関係ない仕事をしていたりすると、ジャカルタの位置はもとより、そもそもジャカルタすら知らなかったり、する人もいるが、ジャガイモの話をすると、へぇーとなって記憶に残してもらえる。
もうひとつ、歴史的な意味でインドネシアが世界的に有名になったのは、オランダによる「東インド会社」である。やはり、江戸時代の開始直前にあたる1602年に世界初の株式会社となる東インド会社が設立され、1619年にはジャカルタに拠点がおかれた。
世界の株式会社の始まりが、なんと400年も前にジャカルタにあったのだ。もちろん、オランダ人がこれを起こしたわけだが、インドネシアだって、現地で関連していたのだ。意外な事実であるし、世界史・日本史にはジャカルタも、イモだけではなく、株式会社の始まりという側面でも関与しているのだ。
もちろん、これはご存知の通り、欧州のスパイスを巡る貿易からできた会社。欧州ではスパイスが栽培できないため、生死をかけて長期間、インドネシアまで、スパイス(胡椒、クローブや丁子(ちょうじ)など)をとりに来て、帰ってこない船もいる非常に高いリスクを分散するため、株式という形で、資本家がリスクを分け合ったというわけだ。
イギリスで発展した再保険もリスクの分散であるわけだが、その前の段階で普遍的な仕組みとして、株式会社が成立したのだ。
で、余談になるが、別の話題。
当時、ジャカルタは「バタヴィア」と呼ばれており、その名残から、ジャカルタの車のプレートナンバーは、「B(バタヴィアの略」始まりとなっている。
インドネシアの車のナンバープレートの規則性は、地域を示すアルファベット+数字の組み合わせになっており、
A = バンテン、チレゴン(cilegon)地区
AD = ジャワ島の古都、ソロ周辺
(ボロブドゥール遺跡も近い、一番近いのは、ジョグジャカルタだけど)
B = バタヴィア、つまりジャカルタエリア
BA = スマトラ・バラット、つまりスマトラ島の西
D = バンドゥン (避暑地のパドマホテルがおすすめ)
F = ボゴール (ボゴール植物園がおすすめ)
H = スマラン (馬で散策できる山上のヒンズー遺跡が素晴らしい)
などといったようなきまりになっている。
上記で、各地のおすすめ観光地の過去記事リンクを貼ったが、それに関連して、以前にジャカルタから1-3日程度で気楽にいける観光地(日本人には、マイナーなところもあり)を記事まとめている。インドネシアの観光地に、悩む人も多いと思うが、バリだけでは満足できない人の行き先検討の一助になれば幸いである。
ジャカルタからの1泊2日 2泊3日旅行
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